ペンギンディスコ戦記(改訂版)

ペンギンディスコ広報ログ

革命のふたつの夜:『西洋軒パンダ公園前』自作解説2編

ども、ペンギンディスコです。

 

14日まで、noteで『西洋軒パンダ公園前』という、

 

四年くらい前に書いた小説を、

 

過去作品として分割して、再掲載していました。

 

今のところのURLは、以下。

 

ただし、マガジンがいっぱいになってしまったので、

 

後にマガジンを消して、目次ページをつくることになります。

 

ずっとあとのことになると思うけど。

 

と、いうわけで、今のところ、ここから全話読めるのでよろしくです。

 

 

さて。今回は再掲載にあたり、自作解説をふたつ、書きました。

 

宣伝がてら、

 

そのふたつを、このブログに再掲します。

 

 

 

*****過去作品『西洋軒パンダ公園前』について*****

 過去作品を再度アップする、ということにして、第一弾『西洋軒パンダ公園前』を更新し始めたのです。この作品は夏に投稿するのがいいんじゃないか、ということもあり。冒頭、西洋の超越論とそれを巡る話もちょこっとでてきてますが、登場人物はみんなアジア系ということで、ブッディズムの因果律と絡めてしゃべっていたりします。昔のカリフォルニアっぽい、といえなくもないな、とかてきとーなこと考えちゃいますけどね。で、この話はそのうち、復古神道の話がどーの、の話になってしまいます。国家神道、ということで、西洋の一神教との兼ね合いを読み取っていただけると理解は深まるのですが……って、ちょっとヘヴィすぎるなぁ、と今になっては思いますね、この作品。まあ、そんな作品です、パンダ公園前って。
 この作品は、佐幕派天狗党の話を置き換えたような話と、中央集権とそれのカウンターって対立軸もあるんですよ。舞台が茨城なんですが、茨城には水戸学という、体系なき体系を持った(体系化することができなかった)学問がありまして、若き日の吉田松陰も水戸学を学びに茨城まで来たことがあります。僕は高杉晋作が好きなんですが、もちろん彼も水戸学ってことで、茨城まで来ています。僕の小説には『菊屋横町』という場所が出てくること多いんですが、菊屋横町というのは、高杉晋作が住んでいた長屋の名前です。
 水戸光圀のウィキ読めば事足りるのですが、そのアンビバレントな部分が後に、幕府が一番偉いのか問題になりまして、天狗党という集団と弘道館などから募った佐幕派という思想対立を生むきっかけになり、戦うことになったりするんですが、深入りは禁物です。身の危険さえあります。が、この『西洋軒パンダ公園前』では、ぐいぐい深入りしていきます。
 ここまで書くと思想的にはストレートになってそうなんですが、実はその反対のもがつがつ入っていて、登場人物の名前に、それが反映されています。
「んじゃ、おまえ、なにやりたかったの? 両陣営から殺されるよ?」となるし実際、死にかけたんですが(笑)、昔から『全体小説』というものの構想を練るひとってたくさんいて、要は「社会の全体を描く」のを指向する、という類いの小説の系譜があります。このパンダ公園前は、『架空戦記の前日譚』と書かれている通り、そこまで到達はできていません。が、見取り図を描こう、と思って構想を練ったのは確かでしたし、その点ではいい線いけたと自負しています。
 この作品を書く前に、関西に10日間かけて、一人旅をしました。それで、大阪の北と南で文化が全然違うってのに興味を持ち、それがこの作品に反映されることになりました。また、後に『虫杭』という作品を僕は書くんですが、その虫杭の舞台のモデルは、神戸です。10日間の旅が僕にもたらしたものは大きかったです。
 またパンダ公園前みたいな作品も書きたいなー、って思うこともあるんですが、「だからこれ、前日譚で、本編があるんだ」ということで、本編を書けばいいんですが、住んでる郷土の作家さんから「ネオ天狗党ってなんですか。バカじゃないですか。ぎゃははっは」と笑われて、そこで書く気が失せてしまって現在に至るので、その傷癒えなきゃ書けそうにありません。
 ついでにいうなら、解説をしようと思ってこの文章を書き始めたのですが、今の日本社会の、ネットで、しかも無料で、後ろ盾がなにもなしに書くようなもんじゃないな、とすごく今、これ書いてて思います。言葉を選んで書いてはいるんですが、「言葉を選んで」って、良い意味ではありません。波風立たないように、って意味です。この作品に賭けた思いっていうのが、伝わっているか、心配になるほど、配慮しすぎで、書いてます。はぁ。いろいろあって僕は今の作風(『因果魔法少女ギルド』とか『虫杭』とか)になったのですが、また『西洋軒パンダ公園前』みたいなのも書きたいですよー。「じゃあ、書けばいいじゃん」と言われそうですが、簡単に言うと、現在も水戸に行って天狗党の話をしたら怒られる、という噂があるくらい、まだ風化してないとか、繊細な問題が多いです。だいたいパンダ公園前の冒頭の話を読んだら、激怒するか冷笑するひと多いでしょう。困ったもんです。愚痴ってしまいましたが、この作品が「書いてよかった」か「書かなきゃよかった」か、さっぱりわかりません。
 なので、もう一度、世に問うことをしてみたくっていう意味もあり、今回、過去作品アップロードの第一弾として、この作品を選びました。
 楽しんでいただけたら、嬉しいです。
     ペンギンディスコでした。

 

 

 

 

 

*****西洋軒パンダ公園前はむずい小説なのか*****

 今、noteで連載してる『西洋軒パンダ公園前』、自分でも数年ぶりに読み返すことになったわけだけど、昔のおれ、頑張って小説書いてたな、っていう、それがまず最初にくる。それじゃ今は頑張ってない風な言い方になってしまうが、昔のおれは『読み応え』っていうのを第一に考えていたのであった。具体的に言うと、枚数換算で100枚でいいところを、文字数換算で100枚にしなきゃ気が済まない、とか、その内容についても、読者がさらっと読めないつくりにする、とか、とにかく、堅い構築物としての小説を書こうとしていた。でも、文体的にはどう読んでもキャラクター小説に近いんだよね、おれの小説の書き方。
 そこの齟齬が、理解されない一因でもあった気がする。
 だいたい、読んでもらっても「なんか難しい」と言われることはどの作品でも多い。この「なんか」が、くせ者である。字面の並びから重層な、難しいですよーって装いは、してないんだよね、おれの小説。でも、読むと考えなくちゃいけなくて、これは確かに、映像世代の人間が読む、「映像が浮かぶ物語」では、ないんだなぁ、と自分でも思います。
 SFって、サイエンスフィクションって意味だけじゃなくて、思弁小説(スペキュラティヴ・フィクション)ってのの略語でもあるんだぜ、って意味ではおれの小説はSFである、全部。思弁小説て、パンダ公園前にも少し変えて名前が出てくる安部公房なんかが、日本での代表格かなぁ。ただ、安部公房は東欧ですごく読まれた小説でもあるんだよね。医学部なのにプロレタリア文学の書き手だと思われていた、と考えるべきなのか。違うな。社会主義リアリズムの文脈か。それも大きく違う気がするんだけど、顔がなくなる(箱に入ったり)、名前がなくなってしまうひと、個人ではあるけど、衆人環視の中の家で生きなくてはならない(これも他と同様、『剥奪』である)、とか。あっちの方の国の問題を提起するようなものがたくさん含まれていた、と言えなくもないような、でも、安部はきっと「都会に生きるとは」っての、考えてああなったんだとおれは解釈してるんだけど。衆人環視を描いた「砂の女」は、とある田舎町で起こった話で、透明な文体だけど、土着の問題ってのがあるよね。
 話を戻すと、昔のおれは、すごく考えてて、「小説ってのは、問題提起をするものである」ので、「そこから考えたひとが、なにか、自分の心でも、社会的にでもいいんだけど、変革をもたらすその契機になるものであるのが、最善なのではないか」って考えて書いてた。要するに、「小説でセカイは変えられる!!」って、考えていたんだよね。
 今は、その以前の、インナースペースな意識に戻ってきていて、「おれって、自分ってなんだろう。ひとの心もわからないし、自分の心もわからないぞ」という、自分の内面的な問題意識がベースになっていて、「おれが頭おかしいのか? ときたま、他人が狂ってみえるんだけど……」っていう、なんともな『日常』の疑問が作品に反映されるようになった。
 書き出してみると他人に失礼な言葉になっちゃうけど、これはこれで普遍的な問題でもある、と思うんだ。
 正常な人間なんていない。
 正常、という言葉自体が、あり得ない状態を指し示す言葉だ、って風に考えてる。
 だからちょっと、サイコパスな人物を描くことになっていった。
 その萌芽は、『~パンダ公園前』にもあるけど、パンダ公園前はまだ、社会とつながった部分で、それを描いている。
 あと、連載終わったら書こうと思ってたけど、ドストエフスキーの考えた問題と呼応するものも、パンダ公園前って作品には含まれている。だから、結構考えて書いていたんだなぁ、と今になって、思いながら読み返してる。
 あと、普通に文章を練って書いていたよね。今は、そんなことできる環境下では、あまりないんだな、これが。
 自作解説は苦手だし、あまりやらないのが、スマートだと考えている。でも、再度作品を世に問うなら、前は理解されなかったんだから、自分自身が、自分自身の言葉で、解説はするしかないな、と思った次第です。
 ……やっべ。五時半越えた。ウィスキー飲みたい、もうすぐ仕事だけど(笑)。

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

……、と、このふたつが、noteに掲載したふたつの記事の

再掲です。

 

よかったら本作品も、読んでみてくださいね。

 

カクヨムに出すかどうか、悩んでいるのだけれども、

 

そのときはそのときで、また宣伝します。

 

 

でわでわ。